クローズド・ノート

映画が、いい印象だったので、原作を読んでみた。やっぱり、原作の方がいいですね。よくあることですが、原作のある映画に対して、映画が超えることは少ないのを、改めて実感しました。
映画は、スクリーンと二時間という制約の中で物語を構築しますが、小説は、読者の想像力に任せ、無制限の時間と空間を使うことができます。映画は、その制約の中で、エンターテインメントたろうとしますが、小説は、文学という独特の空間で、読者を満足させればいいわけです。
映画は、
主人公「香恵」と「石飛さん」という男性のラブストーリーを縦糸に、主人公のマンションに置き忘れられた日記の作者「伊吹先生」が絡んでくる。ところが、原作の方は、あくまでも主人公は「香恵」。彼女の学生生活を縦糸に、「伊吹先生」の日記が絡んでくる。このあたり、映画「ニュー・シネマ・パラダイス
」の公開版と完全版の違いに近い感じがする。「ニューシネマパラダイス」の公開版は、主人公「トト」と映画技師「アルフレード」の交流、主人公が映画監督になって凱旋帰国する、どちらかというと芸術要素が濃い作品に仕上がっている。ところが、完全版、つまり、興業のための編集をする前のバージョンでは、主人公「トト」の、故郷に置き忘れてきた人生を描いた、どちらかというと生臭い映画になっている。どちらもすばらしいが、編集の仕方でこんなに作品の意味あいが異なるものかと、びっくりさせられる。
これは、「クローズド・ノート」も同じで、素材は、同じなのだが、表現が変わると、こんなにも訴えるものが変わってしまうのかと考えさせられる、
さて、原作の中で(映画になかったシーンで)、おもしろかったのが、こんな場面。香恵が、父に連れられて、デパートの文房具売り場で万年筆を選んでいるところ。店員に試し書きを促されて、いい言葉が浮かばず、あまりに考えすぎて、自分の根源まで行ってしまった彼女は、思わず、『人間』と書いてしまった。自分で書いておきながら、それを見守る店員と父の手前、このままでは、あんまりと思った彼女は、こともあろう、『人間国宝』と続けてしまった。
そんなエピソードが語られる「クローズド・ノート」。読んでもいいかも。
これは、「クローズド・ノート」も同じで、素材は、同じなのだが、表現が変わると、こんなにも訴えるものが変わってしまうのかと考えさせられる、
さて、原作の中で(映画になかったシーンで)、おもしろかったのが、こんな場面。香恵が、父に連れられて、デパートの文房具売り場で万年筆を選んでいるところ。店員に試し書きを促されて、いい言葉が浮かばず、あまりに考えすぎて、自分の根源まで行ってしまった彼女は、思わず、『人間』と書いてしまった。自分で書いておきながら、それを見守る店員と父の手前、このままでは、あんまりと思った彼女は、こともあろう、『人間国宝』と続けてしまった。
そんなエピソードが語られる「クローズド・ノート」。読んでもいいかも。
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